当時13歳だった少年の母親は週刊現代(2006年11月18日号)の実名インタビューで「出所後も焼香や謝罪は一切無かった。再犯が懸念される」という旨のコメントをしている。また、1982年にフェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかっていない。本当は突き落とされたのではないか」とコメントしている。
上記のO事件で、1982年12月12日に死亡した少年Oは、情緒障害児とされる生徒ではなく、「身体を鍛えたい」と自ら入校したが、入校からわずか8日後に死亡した。 少年Oの母親は、息子に入校を勧めたことを悔いた上で、「人の命をなんとも思わない暴力集団をとことん糾弾する」との決意を表明した[1][2]。