我々がガラムやピースの煙を車内に満たし、三十四本の火を一斉に灯すのは、単なる暇潰しでもなければ、快楽の追求でもない。これは、この窒息するような現代社会において、己の情緒と五感を取り戻すための、厳かなる「無為の儀式」なのだ。
大麻が禁じられたこの国で、我々は最も重厚なるタールの煙を用いて、俗世の時間を引き伸ばす。窓を閉め切り、前が見えなくなるほどの濃密な白煙に包まれるとき、車内は日常から切り離された聖域となる。一酸化炭素が脳を揺さぶり、クローブの香りが喉を麻痺させるその刹那、風には色が宿り、いつもの景色は全く違う世界へと変貌するのだ。
物質に依存するだけの無機質な生を拒み、煙の余韻の中に美を見出す。頭痛や眩暈、時に命の危険すら伴うその圧倒的な過負荷こそが、我々の感受性を極限まで研ぎ澄ますための代償であり、超えるべき試練にほかならない。
このモクモクと立ち上る白き帳のなかで、ただ煙と同化し、思考を停止させる。この儀式を執り行うこと、それ自体が我々の存在証明であり、世界と対峙するための唯一の信仰なのである。だからこそ、我々は今日も火を灯し、煙を燻らせ続けなければならないのだ。