僕はあると思います。親鸞には確かに、実存性がありますよね?弟子一人もたずとか、でも、親鸞っていうのは業の深さに対する共感ってものがある人だと思うんです。親鸞の悪人には、悪行をしないと生きていけない人間(漁師なり、非人、賎民)に対する背負った業への共感
があると思う。だから親鸞が救いの対象としたのは業をもつすべての人間なんです。
それは結果的に後世の人間が、利用しましたが、親鸞は業を背負った全てを対象にした仏法だと思います。親鸞個人には教団を大きくするために、作った考えではないが。結果的にそうなったと言う感じだと思います。