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カラオケの映像とまるで関係のない歌やその歌詞の組み合わせにヒトの在り方を見る
2026年10月19日 16:10 更新 - 2 時間前
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0
主
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2 時間前
カラオケの映像と歌は当然まったく別に作られて、かなり大まかに結びつけられて選択されている こうした何かしらのまとまりがあると、そこに人はメッセージや教訓が込められていようといなかろうと、そこに何かしらのメッセージや教訓を見出してしまうことがある
1
橋本
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2 時間前
偽キムタクや偽広末が出てくる時代が神
2
主
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2 時間前
人間は、目の前にある断片的な情報から無意識にパターンや意味を見出してしまう「意味への意志」を持った生き物 そのため、制作者が意図的にメッセージを排除したシュルレアリスム映画や、偶然の産物である抽象画であっても、受け手は自らの記憶や価値観を投影し、勝手に思考を深め、独自の「教訓」を読み解いてしまうことができる まるで夜に風に揺れる木のざわめきに悪霊を見出すように、「そこに人の存在を見出す」のもよく似てる 人が何か言いたいからこれを作ったんだろうな、という発想に至ると、その偶発的なレベルの組み合わせにも、何かしら意図を見出せる
3
>>1
主
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2 時間前
与えたいイメージがそこにはあって、それを疑似体験させるという目的があるのかも もちろん、単にドラマや映画監督になれなかった映像クリエイターくずれがやってただけかもしれないけどね 何にせよ、どう読み解くかまったく自由なのが面白いんだよ 無価値な視覚効果として考えても一向にかまわない
4
主
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2 時間前
表現において「メッセージを入れないこと」と「入れること」は、結果的に同じになる それは、作品は作品のみで完成しておらず、受け手の脳内完成するからだろう メッセージがある場合、作者の意図という「正解」を探すパズルになる メッセージがない場合、受け手の内面を映し出す「鏡」になる どちらのプロセスであっても、結果としてその人の思考の深まりや広がりという鑑賞体験が生まれる点では同じになる だから、メッセージや教訓がない映画を見ても、それを読み解こうする人には「映画を材料にして、自分の内面を具体化する」ということが起きる
5
主
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2 時間前
友達の話を聞いて、小説を読んだりして、あるいはドキュメンタリーを観たりもして そこで「自分ならどうするだろう?」と思うのと似てる どうするだろう?と思う人は、「いま手元にある材料で工面するならば」という前提を無意識に踏襲して、「自分ならどんなことができるだろう?」と考える ここでファンタジー的に捉えて「何でもできるからどうにかなる」と思うもよし リアリズムを重視して捉えて、「できることの少なさを感じて勉強したがる」もよし
6
主
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2 時間前
マーケティングにはN1マーケティングというのがある これは特定の実在する1人の顧客(n-=1)を徹底的に分析し、その人の深いニーズを満たす商品やサービスを開発・提案するマーケティング手法 つまり、誰かにブッ刺されば、より広い対象にブッ刺さることがある、という考え方をしている 何かこれに通じるものが物語にはあって、「ストーリー」を受け取った「ナラティブ」になって、はじめて完成をみる すたわち、それがその人にとって行動原理になりうるレベルの価値があれば、たとえカラオケの映像×好きでもない曲とか一見して影響力が皆無そうなものでも影響を及ぼすわけで、そういうものが個性なのだろうと思う
7
>>6
主
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2 時間前
正しくは(n=1)
8
主
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2 時間前
個人的にはカラオケの映像は例え話でしかなくて、心を動かされたことはないんだけど 「自分の興味のないエンタメが友達などにやたらブッ刺さっている現象」を説明するのには最適だった あれ、凄くいいことだ